
「モノを処分する」ことと「モノを選ぶ」こと、何か違うと思いませんか?
違いを考えていたら、初心に帰りました^^;
「モノを処分すること」を考えてみた

モノを処分すると考えた時にどんなことがネックか、どんなことを思うのかを自問自答してみました。
○ モノが主体になる
○ モノの適量は個人差がありすぎて自分の量がわからない
○ 「使えるモノ」は処分しにくい
「モノを処分する」ときは、モノが主体になる、確かにそんな気がします。多くのモノの中で「処分するモノ」を見分ける時には、これは必要か、使用するか、とモノを見て判断するようです。
それに「処分する」ときに、多数のモノがあるときは、モノの適量がわからないので処分に困るんですね。
例えば「お玉」、手元に3つあったとします。ひとつあれば十分な気もするのですが、「2つ使うこともあったような気がする」「ひとつが壊れたら困る」などと理由をつけて、処分は1つだけになりそう^^;
それに、他の人はもっと持ってるかもと考えたりで適量の判断ができなくなります。
また、「使えるモノ」を処分するのが難しいんです。「使える」から捨てられない。これも「モノ主体」だからかな^^;
「モノを選ぶ」ことを考えてみた

では、「モノを選ぶ」と考えたときは、どんなふうに思考するのでしょうか。
○ 自分が主体になる
○ 今使っているモノが選べる
○ 自分が管理できる量を選ぶ
「モノを選ぶ」と考えたとき、自分が主体になります。
「自分が選ぶ」ということは、モノに主導権を与えないということでしょうか。これって、やましたひでこさんやカレンキングストンさんの考え方?初心でしたね^^;
自分が主体ですから、例の「お玉」の処分も簡単です。自分が今使っているモノを選ぶということ。柔軟に2つ使っていれば2つ残せばいいんですね。では3つとも使っていたら?スペース次第で・・・(笑)
適量というのも、自分主体にしたら分かりやすい。だって、管理できないモノは選べない~はずです^^;
まとめ
モノを処分する、モノを選ぶ、ちょっとした思考の違いで「自分主体」の断捨離になるんですね。
ホント、初心でした。やましたひでこさん「新・片づけ術 断捨離
極意は徹底した自分軸、そして時間軸は「今」
これ、名言です。いまさらですが^^;
関連記事
⇒ 選ぶ力(選択の方法)を鍛える3つの方法って?~その1:自分が何をしたいか考える~
エレスの感想
断捨離は、何度も立ち止まって考えないと、迷路にハマってしまいます^^;
捨てなきゃ、処分しなきゃ、身を軽くしなきゃ~。なのに、肝心の自分軸を忘れてるなんてね。
焦ったり、「減らすこと」だけにフォーカスすると肝心かなめがおろそかになるんですね。
自分軸、自分軸・・・。しっかり心に留めて日々励むことにします^^; って、いつも言うんですが・・・(笑)
いつもありがとう。
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